とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「いつまでにできそう?」と聞かれたら

僕は今、建築工事の図面作成の仕事をやっている。そうすると、相手から「いつまでにできそう?」と聞かれることがよくある。そういう時、一週間かかりそうなところを一週間ではかかり過ぎだと先読みして六日でできると答えてしまうように、相手の状況を読んだ返答をしてしまうことが多い。というのも、一週間はかかると答えて相手から「一週間では遅い」と言われるのが怖がっていたからだった。そして、そんな苦しい約束をして自分を苦しめてしまうことになる。

 

でも、相手の状況を先読みすることは、自分の勝手な想像にすぎなかったのだと思う。相手からしたら、かかる時間をを知りたかっただけかもしれないのだ。もし僕が一週間はかかるという答えを聞いたら、相手はそれはそれで仕方がないと思うかもしれない。または、相手は二週間くらいはかかると見積っていたかもしれない。つまり、僕が一週間と答えても通ってしまう可能性があったかもしれないのだ。それなのに、無理しなくてもできる可能性を自ら閉ざしてしまうようなことを、僕は今までやっていたことになるのだ。

 

こうして一週間かかるところを一週間かかると言えないのは、どこか相手に媚びてしまっていたのかもしれない。だから、相手に嫌われないように相手の希望にそったような答えをしてしまうのだろう。でも、そこで一週間と言えないのは、自分のやっていることに誇りを持っていないからだと思う。誇りを持っていないから、つい相手に媚びてしまうのかもしれない。もちろん、誇りを持てなけば、質もそれなりのものになってしまうだろう。

 

もちろん時には、一週間ではかかりすぎだと言われることもあるかもしれない。でも、その時に初めて対応策を話し合えばいいと思う。全部を提出するのではなく一部を引き延ばしてもらう方法もあるし、あるいは全部を完全にやるのではなく一部を簡素化して提出する方法もだってある。どちらにしても、自分も相手もある程度納得できる方法で合意することが必要だと思うし、ただ闇雲に相手の要求に応えることが全てではないはずだ。

 

それに、もし相手がその日までにできて欲しいと思っているのなら、やりとりの早いうちに「来週の火曜の17時までに」と具体的な日時が出でくるのではないかと思う。逆に「いつまでにできそう?」と聞かれるということは、相手がいつまでにできて欲しいのか明確になっていない場合が多いのではないだろうか。そう考えると、相手が自分の都合に合わせてくれる可能性が高いとも言えるのかもしれない。だから相手から「いつまでにできそう?」と聞かれたら、かかる時間を相手の状況を深読みせず正直に答えてもいいのではないかと思う。