とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

待つことがもたらしてくれたもの

先日、母と弟と回転寿司に行った。ちょうど混雑している時間帯に行ったので、整理券をとって待つことになった。店舗内の待合室も座るところがなく、また外のベンチも空いていなかったので、しばらくは三人とも立ったまま外で待っていた。

 

そのうちにお客の入れ替わりがあって、待合室に三人がなんとか座れるほどのスペースができた。そのスペースで三人で待てばいいと思ったので、待合室に入ろうと母と弟に言った。しかし、母はそのスペースが狭いと感じたのか、「私は外で待つから二人で入りなさい」と言われてしまった。結局、僕と弟は待合室に入り、母は外で待つことになった。

 

それから20分くらいして自分たちの番がきたので、僕は母を呼びに行った。そうしたら、母がベンチで見知らぬ人と会話しているではないか。この予想だにもしなかった光景に僕は驚いてしまった。あまり自分から話しかけることがない母が、見知らぬ人と会話をしているのも驚きだった。しかしそれ以上に、外のベンチで知らない人同士が会話していることが衝撃だったのだ。

 

外食において順番待ちしている間というのは、大抵の場合は一緒に来ている人と会話をしながら順番を待つことになる。そのため、一緒に来ている人以外とは会話する機会はほとんど無いだろう。もし他の人と話す機会があるとすれば「ここに座ってもいいですか」というくらいのもので、それだけで会話が終わってしまうだろう。ところが、見知らぬ人同士で会話することがないような局面で、見知らぬ人たちが会話していた。そんなありえないような光景を僕は初めて目にした。

 

母の話によると、会話していた人はご主人と孫の三人で来ていたらしい。そうなると母とそんなに年齢は離れていないようだ。もしかしたら、母ぐらいの年齢になると見知らぬ人でも会話できるようになるのかなと思ってしまう。それに母は今、肩のリハビリで病院に通っているが、病院でも見知らぬ人と会話しているようなので、なおさらそう思ってしまっている。

 

こうして母が見知らぬ人と会話したのを見て、驚きと同時に複雑な気持ちにもなってしまった。外に食べに行くのなら、待つ時間を少なくしたいと誰だって思うだろう。それに最近は、予約をいれることで混雑時でも待つことなく入れるようにもなった。ところが、あの光景を目にしたら、果たして待たずに入れることが絶対にいいことなのだろうかとも思ってしまった。こうやって見知らぬ人同士で会話できるのも、待っていたからことできたのではないだろうか。そう考えると、待つことは決して悪いばかりでなく、時には面白いことをもたらしてくれるのかもしれないとも思ってしまったのである。