とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

試行錯誤をして、効率のいいやり方をつかんでいく。

物事を効率よくやったり無駄をなくしたりすることは、大切だとよく言われる。でも、それはいきなりできるものではないと思う。やっぱり、失敗したことや無駄なことをやってしまったことを経験して反省し、やり方を工夫していくことで、効率よくできたり無駄が少なくなってきたりするのだと思う。

 

今まで僕は、失敗を避けて手堅いことしかやらないような人間だった。確かに、失敗の程度によっては取り返しがつかなくなる場合もある。だから、ある程度の慎重さは必要だと思う。でも、失敗や無駄をあまりにも回避したがる生き方というのは、ずるい生き方かもしれないと思えてきた。何というか、楽をしていいところだけをとろうしているような気がしてきたからだ。

 

そうなっていたのも、自分が失敗したときの反応を気にしすぎていたからだと思う。確かに、少し失敗でもやたらと叩く人はどこでもいるものだ。でも、全く失敗しない人はいない。失敗なんて誰の身に起こるものだと思えてきたら、失敗に対してとやかく言われることを気にすることがバカバカしくなってきた。例え失敗をしても、次また同じことをしなければいいや、と思えるようになった。

 

やっぱり、失敗や無駄なことを実際に経験しないと、本当に効率のいいやり方や無駄のないやり方がつかめないと思う。それも、一回やっただけで見つかるものではなくて、何回も試行錯誤していくことで少しづつ見つかっていくような気がするのだ。確かに失敗や試行錯誤というのは、気分がいいものではない。でも、うまいやり方が見つかれば、その嫌な気持ちがどこかに吹き飛んでしまうような気がするのだ。

 

そう考えると、初めて何かをするとき、いきなり最短経路を探そうとすることが実は一番遠回りなことなのかもしれない。逆に、遠回りを承知で試行錯誤をやっていくことのほうが、意外と最短経路を通ることになるのかもしれない。ただ、最初の見た目が最短経路に見えるか遠回りに見えるかの違いなのだろう。