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とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

良くも悪くも、自分の周りには釣り合った人が集まってしまうものかもしれない。

 昨晩、職人である父とプロ野球を見ていたら、今は父から独立した部下から電話がかかってきた。どうやら相手の一方的な都合で部下の仕事が無くなったらしい。その元部下はそういった目に何度か遭っているらしく、父は「それだといいように扱われて終わりだぞ。今のままだとそんな奴らしかお前の周りに集まらなくなってしまうぞ」と怒り始めてしまった。

 

そんな父の電話のやりとりを聞いていて、自分と同じ性質を持った人や自分と釣り合ってしまう性質の人は自然と自分の周りに集まってしまうものだなと感じてしまった。おそらく、自分を丁寧に扱っていない人には自分を丁寧に扱っていないような人が集まってしまったり、自分のことをうまく守れない人に自分のことを都合よく利用する人が集まってしまうのは、そういうことが働いているのかもしれないと思ってしまった。なぜなら、自分もそういったことを何度も経験したからだ。

 

もちろん、この事は悪いことだけでなく良いことにも当てはまるはずだ。自分を大切に扱う人には自分を大切にする人が集まるだろうし、自分をしっかり守ることができる人には自分のことを利用してやろうとする人は現れることはないような気がする。こういった観点からも、自分を粗雑に扱わずにまたNOと言わなければならないことに対してNOと言えるように自分を守ることが大切なのだと思う。

 

自分と同じ性質を持った人や自分と釣り合ってしまう性質の人が自然と自分の周りに集まってしまうことは、出会いが向こうからやってくる場合だけではなく自分から出会いを求める時にも心に留めておいたほうがいいのではないだろうか。というのも、出会いの場においても、自分と同じ性質を持った人や自分と釣り合ってしまう性質の人を無意識のうちに選んでしまっているかもしれないと思うからだ。

 

もし、自分を丁寧に扱っていなかったり自分をうまく守れなかったりしたまま出会いの場に行ってしまうと、新しくつながったのは自分を丁寧に扱っていないような人や自分のことを都合よく利用しようとする人だった、なんてことになりかねない気がする。これでは自分の人生を良くするために出会いの場に行ったはずなのに、逆に人生を停滞させるために行っているようなものなってしまって逆効果になってしまうだろう。

 

人生は出会った人によって影響を受けることが少なからずある。そしてその出会いというのは自分次第でどうにでもなることもあれば、自分だけではどうにでもならないこともあると思う。だけど、自分の力であっても流れから生まれたものであっても、いい結果をもたらすためにもやっぱり自分がしっかりしていることが大切ではないだろうか。