とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

小さな異変に対処することは、大切に扱っている証になる。

夏の終わり頃から、左の奥歯が欠けたように感じるようになった。痛みはなかったけれども、そのまま放置していたら舌を傷つけてしまうと思ったので、歯医者に行って診てもらった。そして、診察の結果は虫歯で神経までいっていたと言われた。虫歯からくるような痛みを全く感じていなかったので、虫歯とは言われた時はショックだった。それと同時に、このまま放置していたらと思うとゾッともしてしまった。

 

一か月ほど前、給油しようとしたら車の右後輪だけが空気が抜けているように見えたので、給油と同時にタイヤの空気を入れた。その後、遠出の途中でまた右後輪の空気が抜けていることに気づいた。確実にパンクしているように思ったので、最寄りの自動車用品店で見てもらった。そうしたら、右後輪がパンクしていただけでなく両前輪のタイヤの内側がかなりすり減っていたことが判明したので、タイヤを全輪交換することになった。

 

このように、自分ではちょっとした治療・修理で済むだろうと思っていたことが、実はけっこうな問題だったと判明したことが二度あった。しかも、それを放置しておいたら取り返しのつかないことになりかねないものだった。たまたま、気づいた時期は自分の気持ちに多少余裕があったので速やかに対処しようとする気持ちになったけれど、もし自分の気持ちに余裕がなかったら、確実に見過ごしていただろう。

 

だから、ちょっとした異変に気づいたら、速やかに対処するべきだと痛感した。ちょっとした異変ということは、まだ他に支障がでていないとも言える。もし今日明日の対処が難しいとしても、一週間以内に手を打てばダメージを最小限に抑えられる可能性があるし、一週間以内ならどこかで時間を見つけられると思う。逆に、そこで見過ごしてしまうと、他にも支障がでてしまって、待ったなしの状態で手を打たなければならなくなるだろう。

 

同時に、体や普段使っているモノに対して手入れを、今まで怠っていたことを反省した。というのも、普段から手入れをしていれば、防げる可能性が高かったように思えたからだ。それに、そこで小さな異変に気づいても、小さなダメージで済む可能性が高いように思う。しかし、何より小さな異変に気づいて対処するということは、それだけ、大切に扱っているという証とも言えるのかもしれない。