とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

中途半端を、悪くとらえすぎない。

このブログでエントリを更新する時は、一回で書き上げてしまうことが多い。しかし、時には途中で思ったような文章にならなくて途中で止めてしまうことこともある。あるいは、頭の中ではあやふやになっているテーマをはっきりさせるために、軽い気持ちで少しだけで文章を書くこともある。そして、いずれの場合にしても話が完結しない中途半端な状態なまま残ることになる。

 

その多くは、何かに使われることもなくそのまま放置してしまうことが多い。しかし、中にはその中途半端な文章がヒントになり、その文章を利用してエントリを書きあげたことがある。おそらく、最初に書いて中途半端になってしまった時は表現したいことが明確になっていなかったのだと思う。でも、時間を置くことであやふやだった思いが明確になって完成までたどり着けたのかもしれない。

 

そう考えると、中途半端で止まることは決して悪いことではないのかもしれない。よく「中途半端は良くない」とよく耳にするし、僕自身も中途半端になることが嫌だった。でも、中途半端になってしまうということは、どこか機が熟していないところがあるというサインなのかもしれない。それに、もし機が熟していないところが無ければ、途中で止まることなく一気に完結してしまうように思えるのだ。

 

もし、中途半端が問題になるのは、そこで止めてしまってそのまま放置してしまうからだと思う。だから、もし中途半端になってしまったら、そのまま放置せずに一旦時間を置いてみて改めて向き合ってみたほうがいいのかもしれない。時間を置いて再度取り組んでみると、最初の一回の時には気づかなかったことに気づくことが多いように感じる。だから、それがきっかけになって完結までたどり着きやすくなるのだろう。

 

もし、心のどこかで中途半端にしたくないという思いが強すぎるのならば、行動も消極的になりやすいのだろう。でも、一旦中途半端になったとしても完結できる経験を繰り返していけば、中途半端をいたずらに恐れないようになるのかもしれない。それと同時に、中途半端をなったことを自分で責めないことも大切だと思う。そして、中途半端を恐れないからこそ、いろいろなことに手を出せるようになるのかもしれない。