とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

鏡を見ることは、自分を受け入れること。

鏡というと、今までは洗面台の鏡だけを使っていた。しかし、服のコーディネートを考えると、全身が見える鏡が欲しくなったきたので、スタンドミラーを買ってきた。そして、早速組み立てて部屋に置いてみた。スタンドミラーで自分の姿を見ると全身が見えるから、洗面台から見るとはまた違った感じだ。正直言って、もっと早く買っとけば良かったとさえ思ってしまった。

 

自分の姿というのは、洗面台で身だしなみを整えている時に少なからず見ているわけだし、そもそも下を向けば自分の体を見ることもできる。だから、わざわざ鏡で全身を見る必要はないと、今までは思っていた。でも、それで見えるのはあくまで自分の体の一部分だけであって、全体を見ることはできない。部分だけを見るのと全体を見るのでは、見え方も印象を違ってくるはずなのに。

 

しかし、全身を見ようとしなかったのはそれだけではなかったような気がする。もしかすると、鏡に映る自分の姿を受け入れたくなかった気持ちが心のどこかにあったからだと思う。もし全身を見ようとすれば、自分の気に入らない部分が見つかってしまうものだ。しかし、部分だけを見ていれば、自分の嫌な部分を見なくてもいいし、自分の都合のいいようにすることさえできてしまう。

 

そうやって目をそらしたり都合のいいようにねじ曲げたりしていると、手を加えるところに手を加えなかったり、手を加えなくてもいいところに手を加えてしまいやすいものだ。そうなると、ますます自分のことが把握できなくなって、何をやっていいのか分からなくなってしまうだろう。そうなってしまうと、自分の姿を見ようという気持ちは起こらないのかもしれない。嫌な事実を見ようとしているのと同じことだからだ。

 

そう考えると、鏡で自分の姿を見ることは、現在の自分を受け入れることになるのかもしれない。自分を変えるにせよ変えないにせよ、自分の姿を直視できることが大切だと最近は強く感じている。もし自分を受け入れることができないまま、あれもこれもと変えたとしても効果はあまり無いような気がする。むしろ、自分を受け入れることができるからこそ、何をしたらいいのかが自然に分かってくるのかもしれない。