とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

全力で走る必要がないところは、全力で走らなくてもいい。

車を運転していると、目の前の信号が赤なのに猛スピードで走っている車を見かける。そして、信号まで来るとあわてて急ブレーキで止めていることが多い。そのような走り方をしていれば事故を起こしかねないのはもちろん、燃費やブレーキにも悪影響を与えてしまうだろう。そうならないためにも、状況を見ながら速度を調節して走ることが、事故を起こしたり車を故障させないためにも大切だと思う。

 

ところが、目の前が赤信号なのに猛スピードで走ってしまうことを、普段の生活において僕はやっていた。明日からでもいいと言われたのに、その日のうちに無理やり全てのことに手をつけてしまっていた。しかし、物事の全体が見えていなかったので、すぐに壁にぶつかってしまうことも多かった。さらに、その日に手をつけたことでその後の行動にも影響が出てしまって、1日の生活ペースを崩してしまうことも多かった。

 

このようなことをやってしまったのも、「何事も全力でやるべきだ」という考えに囚われすぎていたからだ。だから、重要なことだけでなくちょっとしたことでも全力でやろうとしていたし、自分も他人もちょっとしたことに手を抜くことが許せななかった。とにかく、目の前の信号が青でも赤でも全力で走るべきだと思っていた。そして、そんな僕の姿を見て「そんなに無理しなくていいから」と言われたことは一度や二度ではなかった。

 

でも、「無理しなくていいから」と言ってくれる人が次々と現れたことで、周囲は何でもかんでも全力でやることを望んではいないと僕は次第に思うようになった。何もかも全力でやっていると、その反動で全力でやるべきときに全力でやれなかったことも多かった。だから、全力でやらなくていい時は全力でやらなくていいから、その代わり全力でやるべきところをしっかり全力でやるように心がけるようにしてみた。

 

そういうこともあって最近は、明日からでもいいよと言われたことは、内容に軽く目を通すことまでにして無理やり手をつけないようにした。そうしたら、手をつけない分だけ自分の容量に空きが出たのか、気持ちが落ち着くことが多くなった。例え内容に不安を感じたとしても、「まあ明日もう少し調べてみるか」と思えるようになって変にジタバタすることも無くなった。

 

目の前の信号が赤でも飛ばす車をみる度に、「余裕のない運転をするなあ」と僕は思っていた。しかし、周囲はそんな感じで僕を見ていたのだと思う。余裕のない運転をする車が事故の不安を掻き立てるように、周囲も僕に不安を感じていたのかもしれない。そう思うと、状況に応じたペース配分をすることは、自分を激しい消耗から守ることだけでなく、周囲も自分に対する不安を和らげる効果があるのかもしれない。