とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

心の中を自由にして、自分を守る。

思いを口に出したり書いたりしまえば、聞いた人に知られることになる。しかし、思いを口に出すことなく書くことなくに心の中に留めているかぎり、推測はされても同意しない限りは他人に断定されることはない。そう考えると、心の中では何を思っても自由なのかもしれない。むしろ、それを活用して他人の不当な攻撃から自分をうまく守ることが大切なのかもしれない。

 

そう考えるようになったきっかけは、とある人から自分だけ接する態度が違うことを感じたからだ。言ってしまえば、ばい菌扱いされているような感じだった。こちらが、明らかに何も言っていないのに、である。そう感じた瞬間、心ではキレていた。しかし、そういう場面で下手に手を出してしまうと、逆に自分の状況が悪化してしまうことは、過去の経験から感じていた。

 

それならば、相手につられて低レベルな反応をすることはやめて、自分を下げない方法をとろうと思った。それ以降も、ばい菌扱いする態度は変わらなかったが、心の中では怒りを感じつつも他の人と同じように普通に応対した。そういうことができたのも、「自分は気分を害することは何もしていない。向こうが勝手にぞんざいな態度をとってきただけだ」という思いがあったからだと思う。

 

今まではそういう思いがあっても、「それでもどこか自分に問題があったのかもしれない」と自分を疑ってしまっていた。そのために、弱気なった状態で接してしまうことで、相手を勢いづけさせてしまっていた。さらに、ひどい仕打ちを避けようとした言動が、逆効果となって繰り返させてしまうこともあった。必要以上に恐れてしまうことによって、その恐れていることを呼んでしまう悪循環になっていた。

 

最初は怒りの勢いで「心の中では何を思っても自由だろ」と思っていた。しかし、時間が経つにつれ、「心の中で何を思ってもやっぱり自由だよな」と思えてきた。何を思っても表現しない限りは周囲は断定できない。だから、心の中で自分の思いや行動を認めることで、自分を必要以上に卑下しないことが大切だと思う。そうすれば、必要以上に恐れることなく、自分のとって本当に必要な言動がとれるのかもしれない。

 

心の中は何を思っても自由だと思ってからは、相手を必要に恐れることなく「ひどい態度をとるならとってみろ」という気持ちが強くなった。それと同時になぜか解放された気持ちも感じるようになった。それだけ今まで自分を縛りすぎていたのだろう。確かに、常識や周囲の考えは大切にするべきかもしれない。しかし、自分の中から湧き上ってきた思いも否定することなく認めることも同じように大切だと感じている。