読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「たら」「れば」の使い方は、その人の生き方に表れる。

よく「たら」「れば」は言わないほうがいいと耳にする。確かに「たら」「れば」を連発する人の話を聞いていると、こちらのテンションも下がりやすくなる。というのも、「たら」「れば」という言葉には「あんなことをやらなかったら、こんなことにはならなかった」とか「あんな天気でなければ、いい結果が出せた」というように、不満や愚痴を言いやすくなる一面があるからだと思う。

 

そうやって「たら」「れば」を使いたくなる時というのは、過去の行動や環境を否定したい時だと思う。望んでいない結果や現実だから、そう言ってしまいたくなってしまうのかもしれない。でも、そうやって過去の状況や条件を否定し続けていれば、自分に行動に誇りが持てないままでいたり身の周りの環境を悪い目で見てしまったりすることになってしまうだろう。

 

そして、「たら」「れば」が好ましくない最大の理由は、結果論に向かいやすくなってしまうからだと思う。行動や過程は決して間違っていないのに結果が伴わないということは、どうしても起こってしまうものだ。でも、そこで結果論になってしまって行動や過程を否定してしまえば、得るものが何もないどころか行動することや挑戦することをためらってしまうことにもなりかねない。

 

だからといって、「たら」「れば」は決して悪い言葉ではないと思う。というのも、「あの人に出会わなかったら、今の自分は無かった」とか「あの時応募していなければ、チャンスは二度となかった」というように、現実や幸運に感謝している場合も使うこともあるからだ。感謝する意味合いで「たら」「れば」を聞いていても、決して不快感を感じることはなく内容に共感できることのほうが圧倒的に多い。

 

そう考えると、言葉も使いようで聞いている人の気持ちを明るくさせたり暗くさせてしまったりする力があると思う。特に異なる使い方がある言葉ほど、その力は強いような気がする。もしかしたら、表情やテンションまで左右してしまうのかもしれない。「たら」「れば」という言葉は頻繁に使われる言葉だし、難しい言葉でもない。でも、使い方で、その人の考えや生きざまがはっきりと見えてしまうのかもしれない。