とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

消極的な動機も、立派な動機。

動機には「やったほうがいい思いをする」というような積極的なものもあれば、「やらないとまずいことになる」というような消極的なものもある。そして、最近の本やネットを見ていると、積極的な動機は評価されやすい一方で、消極的な動機には厳しい目が向けられていることが多いように感じている。

 

確かに、積極的な動機でやったほうが結果も周囲に与える影響もいいものになることが多いし、消極的な動機でやることは結果もイマイチで周囲にいい影響を与えないと言われることが多い。そのために、消極的な動機を否定して消極的な動機を積極的な動機に変えようとしがちになる。まるで消極的な動機が「百害あって一利なし」みたいになってしまっている感じだ。

 

でも、消極的な動機も立派な動機だと思う。なぜなら、消極的な動機には状況の悪化や停滞を防ぐためのエネルギーがあると思うからだ。もし、ひとたび状況が悪化したり停滞したりしまえば、それだけ自分の余裕がなくなることで判断も誤りやすくなるだろう。そして、それが悪循環となって、ひいては取り返しに多くの労力を必要としてしまうことにもなりかねない。

 

もちろん、消極的な動機でやっているからといって、それを自分から周囲に言う必要はないと思う。それよりも、自分が消極的な動機でやっていることを正直に認めることが大切だと思う。必要なのは動機の内容よりも実際に動くことだ。そこで消極的な動機は良くないといって認めることができていないと、心と体がちぐはぐになってしまって、状況は望んでいない方向に行きやすくなってしまうだろう。

 

もしそこで消極的な動機でやっている自分を認めたとしても、動機の全てが消極的なものであることは無いだろう。消極的な動機でやっている割合が多かったとしても、実際には積極的な動機でやっていることも一つや二つあるのではないだろうか。だから、消極的な動機でやっている自分を認めるということは、自分の中にある積極的な動機でやっている自分も見つけ出すことにもなると思うのだ。