とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「何がその人にとって一番いいことなのか」を考えてみる。

父の姉の夫が亡くなったので、父たちと通夜に行った時のことだ。夜遅くに行ったので、家族や親戚の多くが喪服から私服に着替えていた。その中でも、私服に着替えていた次女が比較的明るめの服を着ていた。その次女を見て、父は「そんな色の服着ちゃって」と次女に言ったら、次女は「その方がお父さんが喜ぶかなと思って」と答えた。僕はその言葉を聞いた瞬間に考えてしまった。

 

誰かが亡くなった時には、例え私服であっても地味な色にして悲しみの気持ちを表すものだということが父の中にあったと思う。でも、次女はとっては明るい性格だったお父さんが余計な心配をせずに、心穏やかにして旅立ってほしいという思いがあったのかもしれない。そのやりとりを聞きながら、ただ悲しみ続けることが故人のためになるとは限らないと、僕は思ってしまった。

 

そして、次女の言葉からは、日常においても「何がその人にとって一番いいことなのか」を常に確認することがいかに大切かを教えられた。一見その人にとって良さそうなことをしたつもりが、実際にはその人のためにならなかったということは少なくない。そして、そういう時というのは一般的な型にとらわれすぎていて、あまり状況を確認をしないでやってしまった場合が多いように思う。

 

だから、相手のためにに何かをする時には、置かれている状況だけでなくその人の性格や嗜好も確認してから判断することが大切だと思う。そうしないと、その人のためというよりも、自分がいいと一方的に思っていることをやってしまいがちになるからだ。自分としてはその人のためになると思ってやったとしても、自分と他人は違う以上はそうならない可能性だって十分あるのだ。

 

さらに、相手や状況によって一番いいことというのは変わってくる。そう考えると、相手のために何かをするということは、決して簡単なことではないのかもしれない。確かに相手のことや状況を考えだしたらキリはない。しかし、相手のことや状況を確認することで、相手にやったことに自分だけが満足してしまって相手のためには全くなっていないことを避けられやすいように思えるのだ。