とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

イライラしてしまうことを、否定せずに認めてみる。

物事がうまくいかなくてイライラが続いてしまうと、そんな自分につい嫌気がさしてしまうことが多かった。でも、思うようにいかなくてイライラするのは自然な反応ではないかと最近は思うようになってきた。そもそも、イライラしてしまう自分を責めてしまうことは、その自然な反応を否定してしまうことになるから、自分にとっては良くないことになってしまうのだろう。

 

僕は気が短いので、ちょっとでも不快なことがあるとすぐにイライラしてしまう。そうやってすぐにイライラしてしまうのは、自分の反応に問題があると思っていた。だから、今までは嫌なことに遭遇しても、負の感情を感じないように自分の心に蓋をしてしまっていた。でも、そうやってその場をやり過ごせても負の感情は蓄積されていたのか、別の場面で負の感情が出てしまうことが多かった。

 

このように嫌なことを嫌だと感じないようにすることは、黒く見えるものを無理やり白いものとして見ようとしていたのと同じことだったと思う。そうやって黒く見えるものを白く見ようとすることは素直な感情をねじ曲げることになるから、ストレスやフラストレーションが溜まるのも当然なのだろう。これではイライラしないようにしようとしても意味のないことになってしまう。

 

そうやって黒いものを違う色として見ようとしても、結局は黒にしか見えないような気がする。いい加減な対応をされたら腹が立つことも図面がわかりにくいものだったら能率が上がらないことも、自然な反応だと思う。むしろ、そういう時は「これじゃイライラするよな」と認めることが大切だと実感している。イライラしてしまう時というのは、自分の度量の問題だけではないことも多いと思うのだ。

 

例えイライラしてもそれを認めることができれば、しばらくするとイライラがおさまってくることが多いと感じる。おそらく、素直な感情を素直に感じることができたから、イライラを消化することができたのだと思う。イライラは感じないことに越したことはないけど、完全に無くすことはできない。だから、イライラを感じたら素直に認めて消化させることが、僕にとっては有効な方法のような気がしている。