とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

自分の意見がないことを、大切にする。

世の中には自分の意見を言える人がいる一方で、なかなか自分の意見を言わない人もいる。僕も自分の意見を言わない人だった。でも、自分の意見があるのに言えなかったというよりも、そもそも自分の意見がなかったということも多かったような気がする。もちろん、「意見はない」が通らないことも多かったから、そういう時は、本心では思っていない当たり障りのないことを意見にしてやり過ごしていた。

 

もし、自分の意見を持ってないことが相手にわかってしまうと、「自分がない」「やる気がない」「無関心だ」というような良くない印象を受けやすい。以前は、そうやって自分が悪く見られるのが嫌だったから、自分の意見がないことを自分で認めることができなかった。だから、意見が持てない自分に嫌悪しただけでなく、「自分には意見がない」と簡単に言えてしまう人も嫌悪していた。

 

でも、様子や全体像が見えていなかったり、今の自分からはかけ離れすぎていて実感が持てなかったりするのなら、自分の意見が持てないのは自然なことのような気がしてしまうのだ。そして、そういう時ほど「どうでもいい」が本音であることが多いと思う。例えそんな状況で自分の意見を無理に出そうとしても、当たり障りのないものか的外れなものになってしまうだろう。やっぱり、無い袖は振れないのだ。

 

だから、自分の意見がない時はそれを認めることが大切だと思う。様子がわからなかったり実感が持てなかったりすることが原因で自分の意見が持てないのは、決して悪いことではないような気がする。逆に、全体像が見えてきたり実感を持つことができたりすることができれば、いろいろと感じたり考えたりすることで、自分の意見というものが自然とできあがってくるような気がするのだ。

 

もし、自分の意見がないのに意見を求められたら、できることなら意見がないことを正直に言うことが一番いいのではないか。それが無理そうなら「状況はよくわからないですが」などと前置きして、思っていることを正直に言えばいいと思う。そのほうが自分に後ろめたさを感じないし、相手も自分の状況を正確に把握しやすいような気がする。それは、本当に思っていないことを無理やりまとめたことを意見としてごまかすよりもよっぽどいいと思うのだ。