とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

続けていたことが止まっても、また再開すればいい。

先週末から風邪をひいて体調を崩してしまったので、晩に行っていたウオーキングをやめていた。しかし、ようやく体調も戻ってきたので、今日からまたウオーキングを再開した。病み上がりかつ久々だったので距離は短かったけど、こうして少しでも体を動かすだけでも心身ともにだいぶ違うものだ。

 

ウオーキングの途中で、「こうしてまたウオーキングを再開して続けていけばいいのか」と思ってしまった。続けていたことがあっても、あるきっかけで続けることが止まってしまうと、そこで気持ちが切れてしまってそのままやめてしまうことが今までは多かった。そして、その度に長期間続けることができない自分をいつも責めてしまっていた。

 

一日も欠かさずに、何かを長期間続けることは確かに素晴らしい。でも、続けることにこだわりすぎてしまうのもどうかと思ってしまう。続けることの大切さよりも、一日欠かすことの恐怖や不安のほうが強くなってしまうと思うからだ。そうなると、たった一日やらなかっただけなのに「もうダメだ」と思ってしまって、気持ちが切れやすくなるような気がする。そして、それがきっかけでやめてしまって、結局自分には何も残らなかったということにもなりかねない。

 

だから、最初から欠かさず続けようとするよりも、何度も止まってしまってもその度に再開していったほうが結果として長続きするような気がするのだ。続けるというと、一日たりとも欠かさないというイメージを抱きやすい。でも、連続でどれだけやったかよりも、トータルでどれだけやったかのほうが大切だと思う。

 

大切なのは「成果を出す」ことであって「続けること」ではない。ただ、本物の成果を出すためには続けることが必要になってくるだけだと思う。だから、やらない日があったとしても成果が出ればそれでいいのではないか。むしろ、そう思うことが大切なような気がする。続けていたことが止まってしまったことに対する罪悪感も感じなくていいし、罪悪感がないから再開することに意識を向けられるのだと思う。