とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

聞き流すことも、時には必要かもしれない。

最近、周囲の文句や不安をあおるだけのニュースを聞いて、腹を立ててしまうことが多かった。そんなやり場のない怒りを抱えたまま作業に取りかかっていたので、いざ作業をしても集中ができずにささいなミスが多かった。そのため、さらにイライラを募らせてしまうという悪循環に陥っていた。

 

これではいけないと感じたので、どうすれば怒りを引きずらないで済むのか考えてみた。考えているうちに、そういった嫌な話は聞き流すことも必要かなと思い始めた。嫌な話を聞いて怒りを感じそうになったらそこで遮断してため込まないほうが、湧き上った怒りを消そうとするよりもまだやりやすいような気がしたからだ。

 

なぜ今まで人の話を聞き流すことをしなかったというと、聞き流すという行為が相手を粗雑に扱っているように感じてしまったからだ。さらに、僕は気持ちが顔に出やすいほうなので、聞き流していることを相手に見抜かれて「こいつはまともに話を聞いていない」と思われることが嫌だったということもあった。

 

でも良く考えたら、文句もニュースも明らかに僕に向かって言っているわけではなかった。それを僕が勝手に腹を立てていたのがほとんどだったような気がする。もし以前から聞き流すことをうまく使っていたら、怒りを感じたり嫉妬したりせずにうまくやり過ごせたことのほうが多かったと思う。そうなれば、周囲をもっとやさしく見ることができたに違いないと思うと残念なことだ。

 

それでも、聞き流すことは最終手段にしたい。あまりにも生きる意欲がそがれるような話を聞かされそうになった時に、はじめて聞き流すということをすればいいと思う。話している人のことを考えると、人の話を聞き流すのは複雑な気持ちになってしまう。それでも、自分を守るためには聞き流すことも時には必要だとも思うのだ。