とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

自分のためにも他人のためにも、「許される」ことは大切だ。

僕は人から怒られるのが嫌だ。なぜ人に怒られるのが嫌なのか?それは「もし怒られたら、許してもらえないのではないか」という不安があったからかもしれない。もっと言えば、許してもらえないことで、相手にしてもらえなかったり見放されてしまうのではないか、という恐怖もあったような気がする。つまり、怒られた時点でその人との関係はそこで終わり、みたいな思いがあったのだと思う。

 

そうなってしまうと、人に怒られるくらいようにするために、自分に対して無理や我慢を強いるようになってしまう。しかし、そこで怒られることが避けられても、無理や我慢し続けていれば、人生が無理や我慢の連続になってしまってすり減らしてしまうものが多いだろう。さらに、自分をすり減らしてしまって気持ちに余裕がない分、適切な判断ができなくなって、やる事なす事がどんどん悪い方向に行ってしまうのではないかと思う。

 

こうして「怒られたくない」という思いで無理や我慢の状態で何かをするより、むしろ怒られてもいいから無理や我慢のない状態で何かをするように持っていったほうがいいのではないだろうか。つまり、自分を許してもらえるようにするのだ。自分のせいであれ他人のせいであれ、問題を起こして怒られれば一時的にはギクシャクするだろう。しかし、問題がきちんと解決できれば、何事もなかったようになってしまうことが多いような気がするのだ。そして何より、許されるということは自分自身が無理や我慢から解放されて楽になれるのではないだろうか。

 

だから、自分が許されることはとても大切だと思う。それに、自分が許されることを経験していないと、自分も他人を許せなくなってしまうのではないだろうか。「自分は許されていないから、僕もあなたを許しませんよ」という感じで、周囲に接してしまうと思う。あるいは許されている人を見て、嫉妬や憎しみを抱いてしまうかもしれない。どちらにしても、自分にとってはマイナスにしかならないだろう。そう考えると、自分のためだけでなく自分が誰かを許すためにも、自分が許されるということが必要なのかもしれない。