とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「やらない」ことに意識を向ける

 書籍や雑誌やネットでも、「〇〇になるためにすべき〇〇のこと」という具合に「やる」ことに焦点を当てた文章を目にすることが多い。その一方で、「〇〇がしない〇〇のこと」といったように「やらない」ことに焦点を当てた文章も存在する。ところで僕は最近、後者の「やらないこと」に焦点を当てた記事をついつい読んでしまうことが多い。

 

なぜ、やらないことに焦点を当てているような文章を読んでしまうのか。おそらくその文章を読むことで「別に〇〇しなくてもいいんだな」と思えるようになって、気持ちが楽になれるからなのだと思う。確かに何かをやろうとすると、心や体に少なからず負担が生じる。ところが、何かをやらないということはその負担を発生させなかったりあるいは減らしたりすることになると思う。そうやって「〇〇しなくてもいい」と言われると、自分の負担が減ったような感じになるから気持ちが楽になれるのだと思う。

 

確かに「やらない」「しない」という言葉には消極的な意味合いが強い。でも、自分の基準で判断して「やらない」「しない」と決めることは、必ずしも消極的なこととは言い切れないのではないだろうか。余計な負担から自分を守るために、あえて「やらない」「しない」ことを選ぶ。それは消極的なことよりもむしろ積極的なことでないかと僕は思うのだ。だから「やる」というばかりではなく、「やらない」ということも取り入れるのも一つの方法ではないだろうか。

 

もちろん、何かをやらなければ何かが動くことは動くことはない。だから、やることも確かに大切だ。でも、いつもやることばかりに意識を向け続けてることは、自分に負担を与え続けることにもなりかねない。もしかしたらそれが続けば、心か体が悲鳴を上げてしまうことで、今までやってきたことがフイになってしまったらもったいない。そうならないためにも、たまには「やらない」ということにも意識を向けてあげて、自分をうまく解放してあげることが必要なのかもしれない。