とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「批判はそれだけ注目されている証」とは言うけれど

よく、「批判されるのは注目されている証だ」なんてことが言われる。実際にこの夏には、高校野球のスローボールや「アイス・チャレンジ」において批判の意見を数多く目にすることがあった。確かに、興味が持つ人が多ければ多いほどいろいろな意見が出てくるのだから、その分批判の意見も多くなるのかもしれない。

 

しかしこの二つの話題に限らず、批判の意見をよく読んでみると自分の価値観の押し付けや単なる懐古主義なだけだと感じてしまうものが多い気がする。何ていうか文章を読んでいても、物事をなんとか前に進めようといった心意気が全く感じられれずに自分をひけらかしたい気持ちのほうが全面に出てしまっているような気がする。だから、この手の話には読んでいるといつも気分が悪くなってしまう。

 

もし、第三者でそう感じてしまうのなら、当事者はもっと辛く感じてしまうのかもしれない気がする。もちろん批判がいけないという訳でもない。見えていなかった問題を投げかけることも時には必要だと思う。でも、批判をする以上は当事者に本当の意図が伝わるものだったり、前に進めるための議論を呼び起こすようなものであってほしいと思う。そうでなければ当事者が傷つくだけで、何の意味もない無駄話で終わってしまうような気がするのだ。

 

それに、当事者の耳に届かないところでそんな批判をしたって何の意味があるのだろうか。結局は批判をしたいのではなくて、ただ嫉妬しているだけのように見えてしまう。嫉妬を正当化したいから、批判という形でごまかしているだけだとさえ思ってしまう。もしそうだったとしたら、はっきり言ってごまかしている分だけタチが悪いと思う。

 

だから、「批判されるのはそれだけ注目されている証だ」ということを口実にして、当事者や第三者にとって全くためにならない批判と言う名の自己満足の押し付けをするべきではない。そんなことをして足を引っ張るのは失礼なことだと思う。そんなことで相手を陥れようとしても、最後に苦しむのは自分の方だろう。なぜならそういった行動というのは、周りには簡単に見えてしまうことが多いものだから。