とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

もしも、隣の芝生が青く見えたのなら

周囲の状況が良く見えてしまうと、自分の状況を卑下してしまって落ち込んでしまうことがある。でも、隣の芝生が青く見えてしまって落ち込んでしまうのは、結局のところ相手の問題よりも自分の問題によるところが大きいのかもしれない。

 

おそらくそれは、隣の芝生が青くなってしまうと自分が見放されてしまうかもしれないという恐怖心や、自分は隣の人よりも優れているはずなのにといった変なプライドが心のどこかにあるからではないだろうか。つまり自分にとって快適な状況が崩れてしまうのが嫌だから、隣の芝生が青くなることに脅威を感じてしまっているような気がするのだ。

 

しかし、仮に隣の人の芝生が青くなったとしても、隣の人は自分のことを意識して芝生を青くしたことはほとんどないのが実際なのではないだろうか。むしろ、自分が勝手に意識してしまっている場合がほとんどだと思う。むしろそういう場合は、相手のことは置いといて、今の自分がどういう精神状態なのか確認することが大事な気がする。

 

そう考えるのは、自分を省みることで落ち着きを取り戻し、隣の人を攻撃しないようにするためだ。もし自分を省みないで隣の人を攻撃してしまえば、関係は確実にこじれ、状況は難しいものになってしまうだろう。例え攻撃が成功したとしても、どこか後ろめたさを感じたり、あるいは逆に自分が攻撃されるかもしれない恐怖を常に抱きつづけることになってしまうだろう。

 

隣の芝生が青く見えてしまう時というのは、往々にして自分が弱っている時が多い。逆に自分の調子が良ければ、隣の芝生が青く見えたとしてもそんなに気にならないことが多い。だから、相手がどうのこうのというよりも、自分の受け止めの方の問題ではないかと思う。もしもそういう捉えかたができたのなら、隣の芝生が青くなることを脅威に感じずに、心から賞賛することができるような気がするのだ。