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とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

やっているのにやっていないように言われてしまったら

先日、母と口論してしまった。発端は夕食の量というささいなことだったが、二人とも機嫌が良くなかったこともあり、そこからお互いを非難し合うところまで行ってしまった。そのやりとりの中で、母から「あなたは気配りが足りない」と言われた。その言葉には本当に腹が立った。その瞬間、洗濯機のブザーが鳴って母は洗濯物を干しに向かったので、一旦間が空くことになった。

 

なぜ気配りが足りない言われて腹が立ったのかというと、家族には自分なりに考えて今までそれなりに気配りをしてきたつもりでいたからだ。だから気配りが足りないと言われたのはショックだった。「どうやれば気配りしていると認められるのか」。心は怒りの気持ちで一杯だった。

 

このように、自分としてはやっているつもりなのに相手からはやっていないと言われてしまったことは何度もある。でも、自分がさらに感情的になったことで相手を傷つけてしまって相手との関係が修復不可能になってしまうのが怖かったから、反論したい気持ちはあっても、いつも反論をせずに泣き寝入りしてしまった。そのために自分の言動や行動に自信が持てず、相手の機嫌を損ねないようにとビクビクしながら接してした。

 

確かにその接し方では波風は立ちにくくなる。でも、僕はその相手に恐れか憎しみを抱いて接していたのも事実だ。こういった気持ちというのは、いくら隠していても簡単に相手にも伝わってしまうものである。そのせいか、その相手からは時間に経つにつれて粗雑に扱われてしまうことが多かった。

 

思えば、言われて腹が立つのは自分はやってきたという確信があるからだろう。だからこそ、場が荒れることを怖れて泣き寝入りせずに、自分のどこがいけなかったのかや自分はどうしたらいいのかを、自分がはっきりつかめるまで聞いてみることが大切なのではないか。そうしないといつまでたっても具体的な対処法が見いだせないから、いつまで経ってもビクビクしながら人と接し続けることになってしまう。母が洗濯物を干している間、そんなことを思うようになっていた。

 

母が洗濯物を干し終わって戻ってきたところで、「どの場面を見て気配りが足りないのが具体的に教えて欲しい」と苛立った口調ながらも母に言った。そのため、最初はお互いに口調も激しかったが、お互いに言いたいことを言えて納得できたこともあって、時間が経つにつれて落ち着いた口調となり、最後にはお互いが感情的になったことをお互いに詫びて一件落着になった。

 

今回の件で、今まで自分が自覚しづらかった欠点や癖を母から指摘してもらった。今でも対処法は見つかっていないが、意識して気をつけることはできそうだ。やっぱり自分の欠点や癖を自覚しているのとしていないのでは、普段の行動が違ってくるような気がする。そう思えるようになったのも、納得していない気持ちをないがしろにせずに、納得できるまで話し合うことができたからだと思う。