とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

締めの一文に書いた人の気持ちが表れる

いろいろと文章を読んでいると、気分が悪くなる文章に時々出くわす。そういったものに共通しているのは、最後の締めの一文に絶望したくなるようなことが書かれていることだ。全体的に前向きなことが書かれていてもである。

おそらく締めの一文というのは、良くも悪くも印象に残ってしまうからそう感じてしまうのだと思う。そして、様々な文章を読んでいるうちに、締めの一文にその人の本心が表れているのかもしれないと、僕は思うようになっていた。

文章の出だしというのは、気持ちもエネルギーも満ちている場合が多いから、体裁のことを考えて書くことができる。ところが書き続けていくと少なからず疲労はたまってくるから、段々と体裁のことを考えられなくなるのではないかと思う。だから文章が進んでいくほど、書いているひとの気持ちが表れやすくなってくると思う。

だから、文章の出だしではいいことを書いていても、締めの一文が暗い内容のことが書いていると、出だしの部分はごまかして書いているのかなと思ってしまう。それくらい締めの一文の印象度というのは、僕にとって大事な要素なのだ。

もちろん、文章の出だしや中盤部分をいい加減にやれということではない。その部分だってしっかり煮詰めて書くことは大事だと思う。ただ、最後の詰めを甘くしてはいけないと思う。先にも書いたように、締めの一文というのは印象に残りやすいからこそ、しっかりエネルギーを費やしたほうがいいと思う。文章の印象はそのまま書いた人の印象につながりやすいのだから。