とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

それでもブクマすることを続けていく

最近、はてなブックマーク(以下ブクマ)について芳しくない話題をあちらこちらで聞く。実際にそういった心ないブクマコメントを目にしたこともあるし、それを嫌がってブクマを外したエントリにお目にかかることもある。

僕は時々ブクマをつけることがある。僕がブクマをつけるのは、エントリの内容が前向きな気持ちになったりエネルギーをもらえるようなとても素晴らしいもので、時々読み返したいものに出会った時だ。
そして、なぜブクマしたのかが分かりやすいように一言添えてブクマしている。これは素晴らしいエントリを書いた方へのお礼の意味を込めている。

確かに違和感を抱いたエントリにもブクマをしたこともある。だけど、そんな時でも納得できない理由を冷静に書いてきた。決して内容がケンカ腰にならないように注意はしてきたつもりだ。

でも、ブクマをつける用途は圧倒的に前者の方が多い。そもそもブクマはいいものを認めたり広めたりするために使うものではないか?書いてあることが納得できないからといって、不満や怒りをぶつけるために存在しているわけではないはずだ。

確かに、ブクマの内容がケンカ腰になっているエントリも存在する。しかしその一方で、そんな悪意に満ちたコメントが無いブクマで占められているエントリも確実に存在する。そういったエントリは読んでいて面白いだけでなく、気分も良くなってくるものが多い。

確かに不適切なブクマをしている人もたくさんいるだろうが、適切な使い方でブクマしている人だってたくさんいるし、僕はそういった人たちからブクマについて学ばせていただいた。だからこそそうした良識ある人たちの存在がないがしろにされることは許されてはならない。

そのためにも、ブクマすることを悪く言われたって僕はこれからもブクマをつけることを続けていく。いいものはいいと明確に意思を示し続けていく。なぜならブクマは本来そのためにあるはずなのだから。