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とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

いつまでも人と楽しく過ごすために

今週のお題「私の年末年始」

今回の年末年始は、29日に友達とカラオケに出掛け、大晦日に実家に帰ってきた。元旦は妹や弟と初詣に出かけ、2日・3日は父や母と箱根駅伝などをテレビでみていた。今日は母の妹夫婦の家に遊びに行った。そして明日は朝食をとった後、自宅に戻る。本当にあっという間の日々だった。

年末年始は本当に食べ物やお酒に恵まれていた。とにかく料理やお酒が美味しくてたまらなかった。夕食はもちろん、昼飯も普段自分が用意しているよりも多い品目だった。そして今日は母の妹がすきやきやサラダを張り切ってつくり、ご主人からは飲みやすい日本酒をいただいた。昼から酒を飲んでいたので、今も酔ったまま文章を打っている。

こうして目の前に並んだ料理をおいしくいただく日々が続いたのだが、同時にこの状態はいつまで続くのだろうかと不安にもなってしまった。父も母もこれから年老いていく。そうなると、いつまで父はこうして年末年始においしい食材を家に持ってきてくれることができるのかわからないし、いつまで母はおいしい料理をつくってくれるのかわからない。そんな喜びと不安が同居した状態で目の前に並んだ料理をいただいていた。

そして、母の妹夫婦には子供がいない上に同居していた母が去年この世を去ったので、家にいるのは夫婦二人だけだ。今回は二人だけなら寂しいだろうということで、所用で行けなかった父以外の家族みんなで妹夫婦のところに行った。人が来てくれたということで母の妹夫婦のテンションも盛り上がったということで会話も盛り上がり、あっという間の5時間だった。やっぱり人と過ごすと時間の質が違うし、おいしいものを食べるのは至福の時間だ。今回に年末年始はそれを再認識した。それにやっぱり自分は人と過ごすこと・おいしいもの食べることを望んでいたということも再認識した。

父も母も妹夫婦もいつまで元気でいられるのかわからないし、友達も時が経てば環境の変化によって変わってしまうかもしれない。そうなるとこうして楽しい時間を過ごすことをいつまでできるかわからない。でも少しでも長く楽しい時間を過ごしたい。それならば相手から提供されるだけでなく自分も提供することも必要ではないのか。楽しい時間を共有したいのならば、自分でもどんどんやっていいんじゃないかと思えるようになってきた。

思えばいつの間にか周囲の悪影響ばかりを受け止め、年をとるごとに自分に素直になれなくなっていった。自分は人と楽しく過ごせない・自分にはおいしいものを食べる資格がないとさえ思うようになり、人生においてどんどん消極的になっていった。でも、こうして楽しく過ごそうと手を差し伸べてくれる人がいる。おいしいものを提供してくれる人もいる。だから自分はもっと人生を楽しんだっていいんじゃないか。そんなことをやっと自分で認められるようになってきた。

おそらく今までは人生を楽しむことを否定する人たちにたまたま振り回されただけだ。そんなことで人生を楽しんで充実させることをあきらめるべきではない。自分には人生を充実させる権利と責任がある。それを自覚できるかできないかで人生は大きく違ってくるのだろう。そんなこともあって今回の年末年始は、自分にとってここ数年のなかで印象的かつ充実していたような気がするのだ。