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とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

自分で決める。人生もブログも。

人生において、自分で決められることは確実に存在する。もちろん自分の一存では決められないこともある。しかし、自分や周りを注意深く見渡してみれば自分の一存で決められることは意外とあることに気づく。そして、決めてない・決められされたと思っていたことが実は無意識のうちに自分で決めていたことにも気づくこともある。この「自分で決めた」という意識が持てるか持てないかで、周囲への態度も決まっていき、ひいては自分の人生にも影響するものにさえ思えてしまう。

さて、こんな事を書いててみたのはこのエントリを読んだことがきっかけだった。

はてなブログ村では半年に一度クラス替えが行われる。 - マトリョーシカ的日常

その一節に気になる記述があった。

しかしそんなことはなかった。なぜだなぜだと思ったが理由は単純なことで、かれらはブログを書くことに飽きたのだ。当たり前だ。ツイッターやLINE、フェイスブックまたは普段の会話など自分を表現する場はいくらでもある。にも関わらず自分の表現手段を文字数の多いブログとしている人は相当な変人なのだ。毎日更新!なんてよほど暇じゃないとできないことだし。

 この一節を読んで「なぜ自分はブログをやり続けているのだろう?」とふと思ってしまった。そのうちに「ブログが一番、テーマを自分で決めやすいからだろうな」という答えが浮かんだ。LINEや会話では相手が居るからこそ成り立つものだから、自ずとテーマが限定されてしまうことがある。Facebookも確かに自分でテーマを決められるが、友達という特定の存在だったり、「いいね!」の存在を意識してしまうあまり、テーマが限定されてしまうことがある。

それらに対し、ブログは不特定多数に発信することから始まる。特定の相手がいない以上、特に制約される要素がないので書きたいことが書きやすい、すなわち書くテーマを自分で決めやすい。もちろん続けて発信していくうちに興味をもってくれる人があらわれることもある。それでも自分のスタイルに好感をもってくれたのだ。だから変に媚びずに自分でテーマを決めて書くことが、一番期待に応えることではないかと思う。

自分で決められるのはテーマだけではない。字数だって自分で決められるのだ。ブログは、ツイッターのように少ない字数制限もないし、何文字以上書かなくてはいけないということもない。字数が多いからといって面白いかといえば、必ずしもそうとは限らない。文章が長くなるゆえに内容が解りづらくなることもある。逆に字数が少ないからといって面白くないとも限らない。シンプルな分伝わりやすいということだってあるのだ。それに更新間隔だって自分で決めればいい。書きたい意欲だけでなく生活スタイルのこともあるのだから、更新ペースに良し悪しなど存在しないはずだ。だから皆それぞれに最適なペースで更新していけばいいと思う。毎日更新するのがベストだという人もいれば、週一ペースで更新するのがベストな人だっている。大事なのは自分の最適ペースを把握すること・自分が満足できる内容で更新できることではないだろうか。

こうしていろいろと書いたのだが、つまるところ自分で決めるというのは能動的にやるということである。人生は仕事であれ趣味であれ普段の生活であれ、受動的よりも能動的にやったほうが結局は面白いし楽しいし、責任をしっかりもてることが多いような気がする。そして、能動的にやれるかどうかということは、最終的には自分の人生に充実感を持てるかどうかにも関わってくるのだろう。