とりあえず、やってみる。

思いがまとまらなくても、まずは文章を打ってみる。

「早くやっておけば良かった」は、満足している証。

先日、車のオーディオの修理をしてもらった。以前から不具合を感じていた。けれど、症状はそんなひどいものでなく我慢しようと思えば我慢できるものだった。そういうこともあってか、修理に出すことが面倒に感じていたのでそのまま使い続けていた。しかし、その我慢も限界に達したので、思い切って修理に出すことにした。そして、時間はかかったものの不具合は完璧に解消された。

 

いくら我慢できたと言っても、不具合が起きるたびに内心ではフラストレーションを感じていた。そして、いつの間にか車に乗るたびに、不具合のことを気にするあまりにストレスを感じるようになっていた。でも、修理によって不具合が解消したことで、ストレスを感じることも無くなくなった。あまりの快適さに、「もっと早くやっとけばよかったな」と思ってしまった。

 

時々「もっと早くやっておけばよかった」とか「もっと早く知っていたら良かった」と感じることがある。一見、これらの言葉はネガティブに見えてしまう。しかし、そう思えたことに共通していたのは、やったことや知ったことに対して本当に満足していたことだった。だから、「もっと早く〇〇だったら良かった」と感じてるということは、それだけ〇〇を称賛している証とも言えるのかもしれない。

 

とは言っても、「もっと早くやっておけばよかった」ような言葉には後悔の意味合いも確かにある。その見分け方は感じ方にあると思う。「もっと早くやっておけばよかった」が明るく言えるイメージがあれば称賛のような気がする。逆に苛立ちや悲しみを感じるようなら後悔の気持ちが強いのだと思う。もちろん、その感じ方は人それぞれだったり状況次第だったりすることはあると思う。

 

いくら効率的に生きようと思っても、必ずしも効率的に生きれるとは限らない。例えそれを早くやっていたとしても、もしかしたらそれが仇となってしまう可能性だってある。だから、早くやったら良かったと感じても過剰に過去を責めるべきではないと思う。むしろ、心の底では過去を責めても意味がないと感じているのかもしれない。だから、本当に満足している時こそ「もっと早くやったら良かった」と思えるのかもしれない。